2011年7月23日土曜日

あと3日

こんばんは!

あと3日

なんの事って思いますが、

あと3日ですww

僕が教えているハンドボールの県中学総体

7/26にあります

今日も13時~練習

明日学校の都合で休みなので、追い込みが今日

学校へ行くと

3年生2名いない

理由は、塾・・・・・・

一瞬


おいっって突っ込みました。

中学3年生は確かに受験が控えているのでしょうがないけど、

少しくらい部活に優先してもらいたいのが僕の本音

だって最後の大会ですから


今日は練習メニューを急遽変更せざるを得なくなり、

通常のメニュー+速攻のみ

キャプテンが率先して塾行ってますので

僕には何もできません。

今日1日勉強しなかったらきっと受験落ちるのでしょう!!

そんな意地汚い事思ってました。


僕は正直、塾ってどうなの??があるのですが

(塾全体を批判しているのではありませんあしからず)

親としては、良い高校、良い大学、良い就職先が理想なのでしょうね!!

気持ちわかりますが、大学行ったからって決して良い社会人になるわけでもないと思います。

自分自身の問題ですから。

僕は組織に不適合者なので偉いこと言えませんが、って言ってますがww

僕の廻りには、高卒で社長やって、今や200人の従業員を抱える者もおります。

僕は従業員2名のNPO法人の予定ですがww

何言いたいかというと、要は本人次第で社長にもなれるって事!!

社長が偉いかどうかはこの際置いといて、

欲があるなら稼ぐのが大事だなあああって思いました。

そんなこんなで、26日の大会

と~~~~~っても不安ですが、

母校との試合もと~~~~~~~~~~っても不安だしやり難いですが、

頑張って参ります。

あ~~~~~~~~~~~~

顔痛い

2011年7月20日水曜日

やってきたスポーツ一覧(実際にチームに入った物のみ)

僕が生まれてからしてきたスポーツを記憶に留める為に書いておこうと思いまして

幼稚園

何もできない子。スポーツ嫌いな子でした

小学校

長距離走が唯一大好きな低学年

高学年になり、バスケとソフトボールを少しするが挫折

中学校

ハンドボール部に興味があって入部
3年間無事に続けることが出来た(初めてやり遂げたことかも)
クラスマッチでサッカーのキーパーになる

高校

ハンドボール3年続け、ハンドボールにどっぷりはまる
クラスマッチは相変わらずサッカーのキーパー

19歳~22歳

会社と寮の野球部に入部(上司に強制で・・・しかも掛け持ち)
ファースト守りました。打つのはさっぱり
寮のサッカー部に入部
やっぱりキーパー(千葉県リーグや波崎まで遠征などたくさんした)
お茶の水でフットサルに出会いフットサルも始める
ハンドボールも知り合いのクラブでしていた
ついでにバレーとバスケも強制でしていた・・・(付き合い程度)

23歳
野球を辞め、サッカーとフットサルとハンドボールの3競技に絞る
サッカー 初めて大会で1勝する(プライベート大会)
フットサル 東京都大会でBEST8(全日本予選)
ハンドボール 指導者始める
この時期に、フットサルで大怪我(左腕の複雑骨折)で入院を初めて経験

怪我が明け、サッカーとフットサルは審判のみの参加にし、競技はエンジョイのみに
ハンドボールも競技は普通に出来なくなり、指導者の道へ進む


31歳
鹿児島帰省しハンドボールの指導者になる事を決心
競技はもう出ない事を決心し指導者へ・・・

う~~んいろいろしてたなあ
よくよく考えるとDF専門のような気がしないでもない。。。
バレーもレシーブ専門・バスケもDF専門
サッカー・フットサルはキーパー
ハンドだけだな攻めたのは・・・
人生も守りに入らないようにしなきゃ(笑)
てなことで記憶を残すスポーツBLOGでした

2011年7月18日月曜日

なでしこJAPAN世界一

こんばんは!
今朝は、薩摩川内市にあるたこ焼き屋
『たこ阪』さんにお邪魔しまして、
なでしこJAPANの応援!!

結果は、みなさんご存知の通り勝ちましたあああああ!!

やったあああああ

後半に先制され、追いつき延長

延長も前半に先制され、残り4分で追いつく

そしてPKでキーパーが当たりまくって勝利!

W杯優勝です。

素晴らしい

何度も何度も追い込まれていたのに、

最後の最後まであきらめないでボールを追いかけ

その結果が勝利・世界一という形に

見ている側も無理かっと思いそうにもなりましたが、

本当にすごい!!

あきらめたらそこで終わりだよ

安西先生本当ですね(笑)

勝った後はしばらく放心状態でなにが起きたのかわからないくらい

帰りの車も眠気と一緒になり放心状態で帰宅

TVつけて、なでしこ三昧でうれしくなり就寝しました

いやああああ

感動ありがとう

勇気ありがとう

生徒もニュースで見たかな??

この思いを伝えていかなければです。

しかし疲れた・・・

では今からたばこ買いにコンビニへ・・・

2011年7月10日日曜日

僕は、夏がいつも待ち遠しく来るとうれしくなります。

暑いのは苦手だけどうれしくなります。

なんでって??

昨日も書いたけど、中学の時の感動があるから!

詳しく書くと

あれは中学3年生の夏の日のこと

隼人体育館で行われた

県中学総体ハンドボール大会

僕はレギュラーではなく、ベンチでスコアつける係がメインの控え選手だった

当時の鹿児島県のチーム数は、6チームしかなく

しかも予選は、F中とK中

F中には1回も勝ってないが、K中には負けたことがない。

そんな組合せで始まった大会だった。

初戦F中戦は、一進一退の攻防であったが2点差負け

とにかく次のK中に勝ち、決勝でもう一度やって勝つこと

K中に挑む前はそんな感じでした。

K中戦

前半

当たり前のようにレギュラーメンバーが爆発し

10点差くらいつけた

後半

僕はコートの中にいた

でも、何もできなく10分で交代

そして点差が2点差まで詰まっていた。

残り2分

レギュラーメンバーも流れが変えられず、

点差が離れない

油断と焦りからミスも増える

そうこうしているうちに同点に

残り30秒くらいで、マイボール

時間をうまく使って点を取って勝つ

ただそれだけだった

でも神様は簡単に勝たせてくれなかった

残り5秒くらいでボールをカットされる

相手がゴールめがけて走る

キャプテンのI君がたまらずファール

残り0秒

ノータイムのPS(サッカーでいうPK)

入れば負ける

その時の時間は、今でも鮮明に覚えてる

ベンチ全員、いや後輩も全員で祈っていたのを

『こんなとこで終わりたくない』

そんな気持ちだ

審判の笛が鳴り、相手選手がシュートを放つ

ドンッ!!

一瞬訳が分からなかった。

でもコートを見るとボールが宙にある

そう、GKが止めてくれた

僕は大喜びで隣の選手と抱き合った(照)

油断って怖い

簡単にはいかない

今思うとはっきり分かる

先生が走ってこいと言い

試合後ヘロヘロになるまで走りました

でも、あの時の経験があって、

決勝では、F中に初勝利して初優勝

九州大会も3位になった

僕は試合こそあまり出れない選手ではあったが、

本当に充実した夏だった。

今でもはっきり言えます。

こんな感動味わうことは人生であまり出来ないと

そんな経験させてくれたから、

僕は暑いけど夏が大好きです。

2011年7月9日土曜日

ハンドボール大好き

こんばんは!
本日はハンドボールの事を少し。
僕自身が、ハンドボールという競技に出会ったのは、小学4年生の頃。
兄が、創部したての部活に入ったのを聞いてハンドボールという競技を知りました。
小学校時代、そろばん教室行っても3か月で辞め、
ミニバスケットボール少年団に入部しても、2か月で辞め、長続きしない駄目な僕でした。
中学に入るときも最初は部活やるかどうか悩んでいたのですが、
入学式の時、たまたま僕の前の子と良く話をし仲良くなったI君が、
『部活悩んでるなら、僕とハンドボールしようよ』と誘ってくれたのがきっかけで、
ハンドボールという競技に足を一歩踏み入れました。
そして初めての部活の日。
呑み込みの悪い僕は、何回やってもまともにシュート出来なく、
廻りの子はどんどんシュート打ってました。
『やっぱ俺無理だから辞めよっかな?』
辞めるという選択肢がすぐに出てきました。
でも、同じクラスのI君が毎日毎日練習行くぞっと引っ張られ、
結局、毎日出来もしないシュート練習をしてました。
1か月やってもシュートすらゴールに入らないし、遠投も全然遠くまで投げれない
『こんな事やってても俺には無理だなああ。やっぱ辞めよう』
そのことをI君に告げました。
その時にI君が僕を必死に叱ってくれた言葉があります。
『今辞めたら格好悪いよ!せめて夏までやりなよ。絶対に上手くなるから』
そんな事をいわれ、まずはあと2か月やって、駄目なら辞めようと決めました。
それから、I君の指導をもらいながら必死に練習しました。
練習の日は、毎日休まず出続けてひたすらパスとシュートの練習。
そんな時です、何も考えずに思い切って打ったシュートが、
初めて先輩GKの手をかすめてシュートが入りました!
僕のハンドボール人生で初めて入ったシュートです。
その時の感動は今でも忘れません。
それからは、ハンドボールが楽しくなり練習も欠かさず出て、
初めての大会で、当時人数が30名以上いたのに、
僕より上手い子がたくさんいたのに、Aチームに入ることが出来ました。
練習欠かさず出続けたことが、今回の評価につながったみたいです。

その後も練習を必死にしました。
中学3年生になったときは、県外の大会へ出ることも多くなりました。
3年の頃は、試合は出ることは少なくなりましたが、
九州大会で負けてしまったあの試合の悔しさ、
そして先生が僕たちに最後に言ってくれた言葉は絶対に忘れません。
『ハンドボールは楽しかっただろ!!』
その言葉聞いた僕は、さらに号泣したのは言うまでもありません。

その後、高校もハンドボールのある高校を選び、
弱かった高校ですが、楽しいハンドボールライフを過ごせました。

卒業しても東京で続ける環境があり、今の指導者の道へとつながってます。

有名でも上手いわけでもない選手時代ですが、喜びや悔しさ、そして感動することが出来ました。
今指導者として小中学生に教えている僕ですが、
せっかくハンドボールを選んでもらったので、
生徒に少しでもこのような事を共有していければなあと思います。

夏休みで中学のハンドボールからは引退する3年生に、
『ハンドボールは楽しかったか?』
っと聞いて、楽しかったと言ってもらえればうれしいな!!
僕はきっとその時泣くと思いますが・・・

『ハンドボール大好き』